KARTEはおかげさまで5周年。
これを記念し、ある物語をつくりました。
ぜひ音声ありでお楽しみください。
多様なデータを「人」として理解する。
この想いから生まれたKARTEは、
みなさまのおかげで、ついに5周年。
これを記念し、ある絵本をつくりました。
『A:DAY ある1日の物語』
普通のストーリーとちょっと違うのは、
主人公が100人というところ。
全ての人にそれぞれの物語があります。
もしかしたら、あなたそっくりな人も。
「一人ひとりに寄り添いたい」という
わたしたちの願いを絵本に込めました。
ぜひ、お楽しみください。
この物語には100人の主人公が登場します。
ぜひそれぞれの1日を探してみてください。
『A:DAY ある1日の物語』は、
デジタル版以外にブックレット版があります。
なぜ、この物語をつくったのか。
その想いと経緯についてまとめました。
あの人はなぜあの時、
あの場所であんなことを。
一人ひとりの感情の変化。
それを丁寧に読み解くことで、
未来をもっと豊かにできる。
私たちは、そう信じています。
すべての人物にストーリーがあります。
ぜひ、気になる人を追ってみよう。
すべての人物にストーリーがあります。
ぜひ、気になる人を追ってみよう。
すべての人物にストーリーがあります。
ぜひ、気になる人を追ってみよう。
ここからは気になる人を、
時間の変化とともに追いかけつつ、
その感情を想像してみよう。
(100人全員がすべてのシーンに
登場するとは限りません)
スクロールでイラストの上下移動。
さらにスクロールすると、
前後のシーンへ切り替わります。
ピンチイン/アウトで拡大/縮小、
ドラッグで移動が可能です。
この物語には100人の主人公が登場します。
ぜひそれぞれの1日を探してみてください。
『A:DAY ある1日の物語』は、
デジタル版以外にブックレット版があります。
なぜ、この物語をつくったのか。
その想いと経緯についてまとめました。
この物語には100人の主人公が登場します。
ぜひそれぞれの1日を探してみてください。
100人の、ある1日の物語。
それは、単なるデータではなく、
一人ひとりの人生の一部でもあります。
それぞれの人物と向き合うことで、
別の一面が見つかる、かも。
わたしたちはなぜ、
100人の主人公が出てくる絵本をつくったのか
ここでは『A:DAY ある1日の物語』(以下『A:DAY』)の制作の裏側を紹介したい。なぜKARTEというSaaSプロダクトの5周年を記念する企画として絵本を制作したのか。なぜその絵本には100人の主人公が登場するのか。なぜある1日を描いたのか。なぜデジタル版だけでなく、ブックレット版も制作したのか。自分たちで言うのもどうかと思うが、ちょっと変わった、そして手間のかかるアプローチをしたものだ。
しかし一方で、実際に『A:DAY』のサイトページに訪れてくれたり、手にとってページをめくってくれたりした方の反応や感想に触れたときに改めて実感するのだが、『A:DAY』がこのようなかたちで成立したことは、わたしたちにとっては必然的であった。「伝えたい想いを、体験を通して伝える」という目的のためには絵本でなければいけなかったし、主人公は100人必要だった。冊子だけでは物足りなかったし、ウェブだけでは芸がなかった。
ではどのような意味で『A:DAY』は必然的であったのか。まずはそもそもの経緯から振り返ってみよう。
プレイドでは毎年、KARTEの周年記念コンテンツを制作している。それを通してKARTEに関わる全ての人への感謝の気持ちを伝えたいと思っている。しかしただの「ありがとう」では遊び心に欠ける。過去の企画はどれもKARTEの目指す世界観や積み重ねた年月の軌跡を伝えるとともに、KARTEを使う楽しさを感じさせてくれる。細部にまでクオリティへのこだわりが行き届いている。5周年の担当となった5人のメンバーは高まる好奇心の背後に少しの不安を見え隠れさせながら、プロジェクトをスタートさせた。
5周年という一つの節目を迎えるにあたり、わたしたちは、KARTEを活用いただく方々や様々な場面でKARTEに関わっていただいている全ての方々に対して、このプロダクトに託されている想いの原点を伝える、ということを目的に置いた。もちろん他にもいくつかの選択肢があった。例えばKARTEの活用事例や解析するデータを中心に5年の蓄積を振り返ったり、あるいはまだ知らない人にもKARTEを伝えるチャンスと捉え、KARTEが実現する未来の世界をキャッチーに描くコンテンツを制作したり、といったものだ。
ただわたしたちは、5年という一つの区切りを原点回帰の機会と位置づけた。企画会議はいつだって長めの雑談を経由しながら、やがてKARTEのコンセプトの解釈やその可能性の話に行き着いていた。「多様なデータを“数字”ではなく“人”として理解し、一人ひとりに寄り添えるような体験を実現できるようにする」というコンセプトが今時点で伝えきれているかということへの問題意識はゆるやかに共有されていたし、なによりここでの盛り上がりを改めてきちんと伝えたいというのがわたしたちの率直な想いであった。
まずは届け主であるわたしたち自身が熱量をもって取り組めること。洗練されたコンテンツの細部に宿る神はこの熱量にしか由来しないという教義を、わたしたちはより一層篤く信仰することにした。
では、KARTEの想い、その原点をどのように伝えるか。キーワードは"体験”だ。つまり、何かしらのコンテンツをつくるとして、そのコンテンツを見たり触れたり読み解いたりする過程を通して、KARTEのコンセプトを感じてもらうということだ。
美味しい食事の価値を享受するためには食べる体験が必要で、その前ではどのような語彙も「食べてみたい」という動機づけにしか機能しない。同様の発想で、顧客体験の価値向上に貢献するKARTEの価値を体験によって伝えるという実践的な試みを採用した。端的にいえば、KARTEがあるからこそできるような体験を、KARTEなしに、コンテンツ側の工夫によって実現するというチャレンジである。
それはどのような体験であるべきか。まず受け手の想像力を喚起する余白を備える必要があった。つまり、一様に決まった読み方・楽しみ方ではなく、受け手ごとに解釈が異なる余地を残すこと。むしろ多様な読解を奨励すること。
「人を数ではなく、個性豊かなひとりの人間として捉える」のがKARTEである。KARTEを活用する人はディスプレイの向こう側にいる人の存在を感じ、自分の想像力を発揮しながら、その人に向き合うことになる。だから、KARTEを使う人によって人の行動に対する解釈に幅があって構わない。一律の固定的なアクションに終始しては、一人ひとり多様な顧客の個性も、毎秒移ろいゆく顧客の心も捉えることができないのだから。
多様な人に向き合うことができるのもまた人であると、わたしたちは考える。これはヒューマニズムというより、人の人に対する能力を評価しての判断である。優秀なショップスタッフは、目の前の顧客の目線や声のトーンでその人のニーズを汲み取るという。今のテクノロジーではまだまだ捉えることの難しい機微を、人は瞬時に読み取ることができる。KARTEは人のこのような能力を信じ、活用する人が画面の向こうにいるひとりの人への想像力を発揮できるということを重視している。
少し脱線したが、KARTEなしの受け手の想像力を喚起するためには、コンテンツ側に余白を設ける必要があった。そこで絵本である。絵本にも色々なパターンがあるが、今回は言葉を最小限にしたもの。言葉は解釈を方向づける。やわらかいイラストによって「わたしにはこう見える」「ぼくはこう思う」という解釈の多様性を残せるようにしたかったのだ。
しかも、この絵本の読み解き自体を楽しいものにもしたい。数字を眺めるより、人を感じ、その背後にある想いや文脈に自らの想像力を発揮することは純粋に楽しいものであるとわたしたちは信じている。実際、KARTEのユーザーストーリーを見るのが率直に楽しいと言ってくれている方もいる。このような意味でも、ユーモアとも相性の良い絵本という形式はフィットした。
ここまで来ると、「複数の主人公の生活が交差する1日」というテーマはすんなりと決まった。繰り返すが、KARTEによってサイトやアプリのユーザーは数字の塊ではなくひとりの人として見えるようになる。しかもその行動をリアルタイムに解析することができるので、過去の文脈を踏まえてその人の今を解釈することができる。だから、逆説的ではあるが絵本には複数の主人公を登場させ、読み手は時間経過とともに登場人物たちと併走できるかたちにしている。一人ひとりの個性の違いを表現するには、複数の主人公同士の比較が必要になる。ページを開いたときに「なんだか人がいっぱい出てくる!」という驚きももたせたく、100人とすることを決めた。
100人もいるので、ページごとに同じ登場人物を追いかけていくこともそれなりに大変である。その人は何か意図のある行動をしていそうだが、ページをめくってもその答えは明示されない。次のページでは別の登場人物と会話している。読めば読むほど、とにかく考えさせられる。1日の中の行動の点と点を想像力で線にしていく。この体験も、KARTEを実際に使うシーンをイメージして設計したものだ。
多様な読み解きがユーモアとして機能する前提は、100人の登場人物の豊かな設定であると考えた。読み手に本気の読解を要請するのだから、送り手も相応の準備をするべきだ。この"正解”があるからこそ、読み手の読みが"別の読み”として成立する可能性を担保する。一人ひとりの設定がなければ、読後感に「ああ、そうだったのか」という心地よい裏切りを持たせられない。
『A:DAY』はデジタル版とブックレット版で展開している。内容は変わらないが、それらを読み解く体験は異なるはずだ。ブックレット版では見つかったのに、デジタル版ではなかなか見つからない人物がいるかもしれない。デジタル版にはBGMがある。通勤時間やランチタイムなど、ページをめくるごとに音でその時間帯の街の雰囲気を伝えてくれる。双方を読み比べることで新しい発見が出てくることもあるだろう。
同じ内容であっても、形式が異なれば感じ方・受け取り方が変わってくるし、変えることができる。洗練された体験には、例えばオンラインなのかオフラインなのかなど、その形式条件にも意識を向ける必要があるのではないだろうか。デジタル版とブックレット版にはそんな想いを託している。
最後に。体験で伝えるということを声高に主張しながら、『A:DAY』の制作に込めた想いやこのような絵本になったわたしたちなりの必然性を言葉によってここまで明らかにするというのは矛盾というか、実は伝えきれていないのではないかという臆病さが垣間見えるだろう。それは実際その通りである。一方で、ここでの制作秘話が、『A:DAY』に触れた人にまた新たな発見をもたらし、再び『A:DAY』を読んでみようという契機になる可能性が少しでもあるなら、ここで臆病さを晒すことは大した問題ではない。
ぜひ存分に、もう一度、『A:DAY』を読み解いていただければ。
『A:DAY』プロジェクトメンバー
『A:DAY ある1日の物語』は、
デジタル版以外にブックレット版があります。
データではなく人の感情と向き合いたいという、
KARTE開発に込めた理念を伝えたい。
そんな想いから企画はスタートしました。
「絵本」をつくろう。
このコンセプトをシンプルに伝えるため、
デジタル版とは異なるデザインで、
紙の絵本もつくっています。
写真は制作途中のもので、
完成品とは異なる箇所があります。